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足尾鉱毒事件と森永ヒ素ミルク事件について学びました。

2012年09月07日

足尾鉱毒事件
江戸初期1680年前後ではすでに年間千三百トンもの銅が生産され、うち千トンは長崎からオランダに輸出されたという。山元で鋳銭も行われ、お金のことを「おあし」というが、その語源であるとのこと。明治に入って、古河市兵衛がいったんすたれていた足尾銅山を復活させ、富国強兵、殖産興業の勢いに乗って明治18年には4千トン、明治23年には12千トンに増産されていく。その間に煙害による農林業被害、洪水に伴う鉱毒被害の拡大などあり、反対運動も徐々に激化する。明治33年には1万2千人もの農民が抗議行動を行い、翌年には衆議院議員を辞職した田中正造が明治天皇に直訴する。
政府は田中正造や谷中村の反対をおして、大正7年には谷中村に遊水池を完成させる。足尾銅山は昭和48年に閉山になったが、百年後のいまなお山の緑は回復せず、平成23年にも堆積場の決壊が起きている。たしかに衛星写真から緑の回復していない山や、堆積場のダムを見ることができます。
江戸時代に鉱害がさほどでもなかったのは、生産規模もあるが、製錬技術の違いや、お米が経済の基本であったので、お金より農業を大事にされたのではないかとのことでした。

森永ヒ素ミルク事件
ヒ素は水銀と違い、有機ヒ素は低毒性、無機ヒ素の方が毒性が高い。1955年6月から8月にかけて、人工栄養児に原因不明の奇病が多発した。岡山大学の医師が疫学的に森永の粉ミルクが原因であることを推定し、森永に販売停止を求めたが、聞き入れられず、2か月以上たって、死亡した乳児の体内から灰白色のヒ素結晶が検出され、ようやく出荷停止がなされた。
原因は、日本軽金属清水工場で発生した副産物としての第二リン酸ソーダの中にヒ素が含まれ、これを粉ミルクの食品添加物として森永乳業徳島工場で使用されたことである。
 その後の企業の対応は、加害企業の典型的な対応であった。1956年6月に、「岡山森永ミルク中毒の子供を守る会」が結成され、1957年2月には「森永奉仕会」が結成され、その後、救済基金も設けられたが、被害者の分断、囲い込みが行われたようである、2003年には被害者が、守る会の名称変更された「財団法人ひかり協会」を訴え、また2012年には被害者家族が国、森永乳業、被害者団体、救済基金を訴えている。2005年時点で被害者13400人余、死亡者951人としているが、全貌はなおつかみ切れていないようである。また残った汚染粉ミルクは当時、養鶏の飼料などとして販売されたのではないかといわれている。

このような事件の歴史を聴くと、ほとんど同じ構造がみてとれる。これほど大きな事件になれば、一企業に後始末を丸投げすることが、いかに被害者を苦しめ、問題を長引かせることになる。いままた原発事故、放射能汚染問題に同じ間違いを繰り返しているのではないか。小学校時代に被害者の友達がいたこと、母親が母乳が出ずに、毒のミルクを子どもに飲ませたことについての自責の苦しみなども議論された。貴重な資料や図書をどのようにして収集されたのかについてもエピソードを交えて話された。

すでに終わった歴史上の事件と、何となくとらえられているが、いまなお、未解決のまま苦しんでいる被害者がいることを学び、昼の部も夜の部も残念ながら参加者は少なかったが、一同大変勉強になりました。これで環境サロン「ごみと化学物質」9回シリーズは終了です。西村さんには、また機会を改めて、お話ししていただきたいと思います。(館長)
Ustreamは以下でご覧いただけます。
http://www.ustream.tv/channel/from-ube-mizutotabemono

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