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中村 元 著「東洋のこころ」講談社2005年刊の紹介

2024年08月26日

中村元(1912~1999)さんは松江市生まれで、インド哲学や仏教学を中心とする東洋思想研究の世界的権威として知られています。

現在、西洋文明の行き詰まりが感じられるなかで、「東洋のこころ」という本のごく一部を紹介します。

第十二章 差別対立を超えて の内容を主に紹介することになりますが、ここで、まず世界に影響を与えた二人の人物のことが語られています。

一人はラーマクリシュナで、バラモンの出ではありますが、別に深い学問を受けたわけではなく、非常に敬虔な信仰を持っていた人とされています。

彼は、世界にはいろいろな宗教があるが、宗教にとって最も大切なことは教義ではなく、人を真心を持って愛することと言います。。
心に悩んでいる人に向かって教義を解くのは、飢えている人に向かってパンを与えないで石を与えるようなものであると、彼は言ったそうです。

また、インドの伝統的な思想を受けて、人間は現在如何に汚れていようとも、その奥にある本体、本性は清らかなものであると確信していたとのこと。

彼はヒンドゥー教の行者ですが、イスラム教やキリスト教のことも知っていました。
「それらはみな存在理由を有するものであるが、目指すところは同じである。」
「元のものはひとつだけれども、それが国々により、時代によっていろいろ違った名の宗教としていわれているだけである」と言っていたそうです。

ただ、ラーマクリシュナは、近代的な勉強をしたことのない人で、その感化は局地的なものでベンガル地方に限られていたそうです。

この感化を世界にひろめたのは、彼の弟子ヴィヴェーカーナンダで、カルカッタ大学で近代的な学問をし、英語も流暢な人だったとのこと。1893年にシカゴで開かれた万国博覧会に合わせて開催された世界宗教会議に出席することになり、彼の演説は人々の非常な共感を博し、感銘をあたえたそうです。

ヴィヴェーカーナンダの努力により、ラーマクリシュナ・ミッションが結成されます。
インドの民族宗教として扱われていたヒンドゥー教が、「世界宗教」として敬意を持って遇されるようになったとのこと。

左側の写真に中央にヴィヴェカーナンダ、その右の白い服を着た人がセイロンから上座部仏教を代表して派遣された当時29歳のダルマパーラです。

同会議に日本から参加した釈 宗演も35歳でしたが、彼がセイロン留学時に親しくしていたダルマパーラとの再会を喜んだとのことです。

ダルマパーラはたまたまシカゴへの途中ホノルルに立ち寄った時に、ハワイのカナカ王家の血筋をひくフォスター夫人の訪問を受けます。この一回の面会で彼女は非常に大きな感銘を受け、以降、アジアにおける仏教の興隆に大きな貢献をされました。

一方、岡倉天心は1894年、日清戦争前の中国や、1902年にはインドに現地調査をし、「アジアは一つなり」で始まる「東洋の理想」をロンドンで出版するにあたり、ラーマクリシュナミッションの関係で、アイルランドの尼僧が推薦文を書いてくれたとのこと。

その教えを受けた横山大観による「流燈」という作品があります。6年前の1903年にインドを訪れた記憶をもとに描かれ、大観にとって転機をもたらしたとのことです。

このような流れの中で、後年、スリランカ大菩薩会がフォスター夫人やインド、日本も協力して1931年に建立したサルナートにあるムラガンダクティ寺院で野生司香雪が長年月かけて、お釈迦様の一生を描いた壁画があります。
https://bodhgaya.moo.jp/ryosho/?p=1992

「東洋のこころ」最終章では、世界国家の理想が語られていますが、そこまでいかないまでも、カースト間の差別をなくすことや、とくに宗教間の対立をなくし、世界平和を目指す動きがこの時期、盛んに行われたということがわかります。

今夏、宇部市がスリランカ(セイロン)からもJICA青年リーダー研修を実施していることもあり、ブログを上げさせていただきました。

世界万国博覧会における世界宗教会議が契機になったわけで、現在問題になっている大阪万博とは随分状況が異なりますね。(文責:浮田)

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