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NHKで映画監督山田洋次さんのインタビュー番組がありました。
2023年02月12日
91歳になられたとはいえ、現在もお元気で90作目の『こんにちは、母さん』を製作中とのこと。
渥美 清主演の寅さんシリーズ「男はつらいよ」は50作もあるんですね。
番組で紹介された何枚かの写真ですが、豊中時代の家族写真は恵まれた一家の様子がうかがえます。
かなり大きくなってからの母さんと兄弟の写真は満州の時代に撮られたものでしょう。
右下の写真は東大法学部に入学された後のものでしょうが、この間に敗戦後、満州からの引き上げ、宇部の地で過ごされた苦難の時代がありました。
http://ubekuru.com/blog_view.php?id=5993
昨年12月に開催された王 希奇さんの展覧会場でのインタビューのようですが、中国人の手によって満州からの引き上げの様子を描かれた大作です。
中には、男装をした女性の姿も描かれています。
右上は、山田監督から寄せられたメッセージです。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000113930.html
上2枚の写真は28年前の番組で、山田監督が満州からの引き上げ後、宇部に住まわれたその中学生時代 貨物列車に乗って日本海側に海産物を仕入れに行かれた、思い出をたどられる場面です。
ある時、仕入れた ちくわがたくさん余って、・・・、西宇部という駅の近くに競馬場があり、その屋台の店に、自転車で持っていた時の、話が紹介されました。
なんとなく、競馬場は琴崎八幡裏にあったところかなと思っていましたが、宇部駅の近くだったんですね。
そのときの、屋台店のおばさんとのやり取りが詳しく紹介されていました。
この時のおばさんの温かくやさしい行為が山田監督の心に強く刻み込まれ、後の生き方にとても大きな影響を与えたということです。
宇野重吉さんから聞かれた話として、太平洋戦争直前の状況の中で、絶望感にさいなまれたとき、1941年日本公開の米国映画「スミス都へ行く」を視て、生きる力をもらったという。映画は「死のうと思っている人を 生き返らせる力を持ってんだ」と思われたそうです。
また、寅さんの舞台となった下町の風情がどんどん失われてしまっていることにも言及されています。そして、いつのころからか なんでもすきなものが買えるとか ぜいたくな服を着る 贅沢な家に住むとかいうことが イコール幸せという価値観になってしまっている。それは本当は疑ってかからなきゃいけないのでは、とも言われました。
幸せって何でしょうという問いに、「ありがとうと言ってもらえること」、「生きていれば 何度か「ああ 生きていてよかった」と思う瞬間がある それが幸福ってことだよね、『わあ うれしい』という その喜びを何度か味わうことが 幸せってことじゃないか」と、されました。
つくりたい映画ならたくさんある、ドタバタナンセンスな大喜劇、観客が ワーワー笑って と意気ご軒高ですね。ますますのご活躍を期待したいと思います。 (文責:浮田)
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