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渡部裕志さんが「渡邊翁と宇部の歴史」の講演をされたことが宇部日報に紹介されていました。
2023年02月05日
渡辺裕志さんは渡邊祐策翁の曾孫にあたられ、宇部地球温暖化対策ネットワークの代表もされています。
「宇部方式」や宇部の今日あることを語るとき、渡邊翁なしでは語ることができません。
残念ながら、直接聴くことができませんでしたが、この記事により、1913年の「神原炭鉱閉山に伴い、神原耕地整理組合を作り、現在の金額で約8億円の巨費を投じて、塩田川の付け替えや田畑の整備を行った」ことを知りました。
筆者も2021年9月27日に、常盤中学校で「「宇部方式」ってなに?」という話をさせていただいたことがあります。その中で、渡邊祐策翁にも触れ、渡辺裕志さんの文章の一部も紹介させていただきました。
ただ身内のことで遠慮されている気もするということで、
私は、祐策翁がなぜこのような偉大な功績を残されたか、祐策翁には「利他の心」があったからだと思うと、中学生一年生達に伝えました。
しかしよく考えてみると、やはり周りの人たちの理解と協力がなければできなかったでしょうから、「うべ人に教養レベルの高さ」ということも大事な要素だったかもしれません。
ともかく、最近は「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮が強くなってきているように思いますが、子どもたちには、渡辺祐策翁のような「利他心」に学んで、立派な大人になって下さいというメッセージを送りたいと思います。
川の付け替えは江戸時代初期に行われた真締川の付け替えのことしか知りませんでしたので、今回あらためて、塩田川流域を回ってみました。結構広いなと感じました。
若い頃、塩田川と渡内川の合流点で水質調査を行い、流域の中で排出された汚濁負荷が,雨による出水時を含めてどの程度、流達するのかというデータを1年間かけてとったことがあります。そのときに使った流域面積は508haでした。当時、渡邊翁の尽力でよみがえらせた耕地面積は120haということでしたので、塩田川や渡内川の大生に下流部分だったのでしょうね。
最後に、今日回って写真を撮った一部を紹介しておきます。
真ん中の地図は塩田川と渡内川の主な流路と、完全ではないですが、常盤用水の一部の流路を示しています。
まず右の塩田川中央テニスコートのあたりですが、真っ茶色な色が目立ちます。おそらく金気を含んだ神原炭鉱の地下水が流出して空気に触れると、2価の鉄イオンが酸化されて二酸化鉄になり、さび色を呈しているということだと思います。
渡内川の中流部、沼交差点あたりでも所々、同じようなさび色が見られます。
久しぶりに通って驚いたのですが、実に多くのポイ捨てごみが見られました。コロナ禍や不景気が重なり、若干人の心が低下しているのではないかと残念な思いです。
ただ少し上流側にはかわいいコガモ?の一家がいました。(文責:浮田)
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