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1月25日 山口県国際交流協会25周年”国際活動フェティバル”が山口市で開催されました。

2015年01月31日

午前中は、「インカ文明に見せられた日本人からペルーに辿りついた日本のインディー・ジョーンズとその孫~」と題して、ペルー在住の天野博物館理事 坂根 博さんの後援がありました。

 前置きとして、ヨーロッパから見ると、サビエルが滞在した山口は有名である。
フランシスコ・サビエルは1534年8月15日にパリでイグナチオ・ロヨラとともに、イエズス会を結成した。
 1492年コロンブスがアメリカ大陸を発見し、それからヨーロッパの影響が流入し始める。実際はノルウェイのバイキングはもっと以前からアメリカ大陸を発見していたが、侵略したわけでもなく、歴史的な大きな流れにはならなかった。
 それ以来、ヨーロッパの侵略が始まり、独自の文化が新しい文化とどんどん混合していく。
 1万5千年前から1万年前にモンゴロイドが当時陸続きのアラスカを経由して、北アメリカ、南アメリカに移動した。その後間氷期で海水位が上がり、独自のマヤ、アステカ、インカ、アンデス文明など(BC2千年頃~AD 16C)の古代文明が栄える。、
黄金を求めてヨーロッパ人は徹底的に略奪が行われたが、インカ帝国は、1532年に滅びるが、マチュピチュは、1821年のペルーの独立後も意図的に隠されていたのか1911年にエール大学のハイラム・ビンガムによる発見まで、見つからなかった。


 ナスカの地上絵は何のために描かれたのか、まだ謎であるが、地下水脈との関係があるとも、至高の存在に見てもらうため、地上絵の周りにはミイラもいっぱいあり、霊魂不滅の信仰に関係があるといった説もある。

坂根さんの祖父の天野芳太郎さんはペルーのチャンガイ文化に惹かれ、遺跡から収集されたものが博物館に展示されている。日本人とも共通の遺伝子もあるため、さるかに合戦、鵜飼い、おちょこ、羅、絞りなど共通の文物も残されている。カラフルな織物も乾燥地帯である故に残っている。また白磁黒彩のシンプルな美意識も共通するとされた。

午後は、桑山紀彦さんの「地球のステージ」は語り、ビデオ、写真、音楽で彼が、海外の放浪の旅や、その後の世界各地での医療ボランティアの仕事を通して得た生の経験を効果的に伝えるもので、自作自演の歌もよく、1時間半非常に密度のある時間であった。ステージ1からステージ6まであるそうだが、今回はステージ1。

 まず最初は20代のインドへの放浪の旅、宿がなく困っていた自分を泊めてくれたおじさんの話から始まり、エベレストの神々しさ、南アメリカの自然の美しさに地球に生まれきて良かったと感謝し、5大陸の最高峰を見る目標を果たしたときは、夢はかなえると夢でなくなると感じた。

 ケニアでは動物王国だと感じたこと、キリマンジャロは神様の座る椅子で、現地の人は子どもの時から、「悪いことをすれば、神様があそこから見ているぞ」と教えられたということ、マサイ族の老人からは「お歳はいくつですか」と尋ねたところ。「歳なんかどうでもいい。何時でも死ねる。」といわれたこと、などなど。
 ソマリアでは、外国人と見ると 空砲だったと後でわかったが、機銃掃射をしてきたが、この恐ろしい経験から、子どもはシューテイングゲームなどで遊んではだめという気持ちを強くした。
 

 フィリピンのマニラのストリートチルドレンに「お金をちょうだい」と手を出された時、風船をあげたら、「ありがとう」と笑顔になって受け取ってくれ、彼らと仲良くなった。
 家に来るかといわれ、おそるおそる行ってみると、護岸の壊れたところにビニルシートを張って、そんなところに一家7人が暮らしていた。おばあちゃんは目ヤニをいっぱい貯めていたので、自分がもっていた目薬を上げたところ、大粒の涙を出して喜ばれた。このときの経験は自分が医療ボランティアとして働く原点となったそうである。

 医師という仕事柄、担当していた2人のこどもを死なせてしまったこともあり、希望を失ったこともあった。しかし、どの国でもどんな苦しい状況にあってもこども達から笑い声が聞こえ、目が輝いている。ボランティアは、彼らから与えられることの方が多い。人のためが、結局自分のためにもなっていると感じるとのこと。

 最後はご自身が経験された東北大震災の大津波が襲った名取市閖上でのつらい経験を話された。この話の前には、会場の後部に設けられた売店から話し声が結構うるさかったので、まず「自分はこれからする話は、笑い声が聞こえるような場ではできない」と落ち付いた声でたしなめられた。
 震災翌日から唯一残った医療機関として仲間にも助けられながら2ヶ月間24時間営業をやられたこと、こども達を励ますため、「津波のことは忘れるが、津波で学んだことは忘れない」と言う気持ちで、毎年、様々な活動をしていること、3年目にはみんなで映画を作ったことなどを紹介された。

桑山さん達のこのようなステージ活動は、最初、山形から活動を始められたが、幸い、現在勤務されている個人病院の院長さんの「君はやりたいことをやればいい」という理解もあって、今は全国に、命の大切さ、平和の大切さを伝え続けておられる。全て体験にもとづくお話なので説得力があり、映画のような臨場感のあるステージなので、聴く人の心に訴える力がある。ぜひ、ESDに絡めて、小学生達に聴かせたいものであると感じました。
たとえば壱岐町初山小学校の出張ステージの模様は以下で見られます。
https://www.youtube.com/watch?v=cOd9wwkct4w&x-yt-ts=1422579428&x-yt-cl=85114404

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