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「三蔵法師の歩いた道」という本を急ぎ読みをしました。

2025年03月13日

三蔵法師といえば、史実通りではないですが、孫悟空や猪八戒が登場する「西遊記」で知られる、たいへん有名な高僧です。

ちなみに三蔵というのは、「経蔵」「律蔵」「論蔵」のことで、それら三蔵に精通した僧侶を三蔵法師というそうです。
https://true-buddhism.com/history/genjo/

玄奘三蔵(602-664)は、唐初期の第2代太宗の時代、28歳の時に、国禁を犯して天竺(インド)に向かい、大般若経をはじめ多くの大乗仏教の経典を持ち帰り、帰国後、それらを翻訳し、日本を含む東アジアへの仏教の普及に大きな貢献をされました。

玄奘三蔵の像、および年譜は以下の通りです。長安から目的地にたどりつくまで実に3年を費やし、その後ナーランダ寺で5年、カシュミールで2年、ほかにもインドの各地に巡歴しています。

「三蔵法師の歩いた道」の年譜によりますと、42歳の時にインドから帰途につき、パミールを超え、ホータンに着き、太宗に帰国を許され、17年近くを費やして長安に帰りました。

その後は旅行記録の作成や、大慈恩寺の住職として、翻訳作業に当たられ、653年には大慈恩寺に大雁塔が建設されます。

57歳の時洛陽に戻り、西明寺に移って、翻訳を完成され、63歳で入寂されました。

本の中の修学・求法ルート図は詳しすぎてたどりにくいですが、左下の往路の図はわかりやすいので、引用させていただきました。https://true-buddhism.com/history/genjo/

所々やや長く滞在したところもあったようです。

往路はタクラマカン砂漠の北側を通り、帰路は南側を通ったようです。トルファンの辺りや天山山脈の一部は昔、行ったことがあり、この本を読むきっかけになりました

長安からタクラマカン砂漠の北側から、天山山脈を越え、タシケントやサマルカンドを経て、ヒンドゥークシュ山脈を越え、カシュミール、マトゥラなどを経てナーランダ寺についたようですが、暑い砂漠や寒い山脈を越える徒歩の旅は非常に厳しく、多くの犠牲者も出したそうです。

西安市の鴈塔区にある大慈恩寺には世界遺産の大雁塔があります。

17年間で最終的に翻訳したお釈迦さまの経典や、菩薩の論の総数は、1335巻にもなり、現在日本で多く詠まれている「般若心経」も玄奘訳ということです。https://true-buddhism.com/history/genjo/

左の写真は西安市長安区にある興教寺の玄奘三蔵の遺骨を祀る舎利塔です。

右側の写真は、さいたま市岩槻区にある慈恩寺に玄奘の遺骨の一部を祀る玄奘塔です。この経緯については、「三蔵法師が歩いた道」やウィキペディアにも詳しいですが、埼玉県のHPには以下のような紹介がされています。

「三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。頭骨は、当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。」
https://visitsaitamacity.jp/spots/25

後に、奈良の薬師寺にも一部分骨されています。

中国も昔は熱心に仏教が信じられていた時代があったのですね。
最近は日本も無宗教が増え、世界的に「金だけ、今だけ、自分だけ」の世の中になりすぎているように感じます。(文責:浮田)

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