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7月2日午後、多世代ふれあいセンターで開催された「第3回宇部大空襲を知るつどい」で多くのことを学びました。

2022年07月04日

東京大空襲について、仲代達矢さんの山手大空襲の体験について、初めて過酷な当時の状況について知り、先日のブログ(http://ubekuru.com/blog_view.php?id=5918)に簡単に紹介しましたが、その課程で、左上の岡本さんと山田洋次監督が、寅さんとともに描かれた、北海道の画家による興味深い絵を見て、今回の集いには是非参加してみたいと思いました。

まず前座として、主催者である岡本正和さんから、標柱物語をお聞きし、1945年7月2日の宇部大空襲に関する貴重なDVDを、詳しい解説付きで、視ることができました。

岡本さんは鉛筆画のプロでもありますが、小学校の先生をしておられただけあってお話もはきはきしてわかりやすいものでした。2006年に神原校区がヒストリア付近のまじめ川沿いに「宇部大空襲のあとを残す焼夷弾の芯」と記された標柱を設置されたが、市民の注目もさほど示めされぬまま、2020年になって消えてしまった。その後、幸い本山岬の海岸に漂着しているのが発見され、神原ふれあいセンターに届けられ、岡本さんの手に引き取られたと言うことでした。その標柱を会場で見せていただきました。

左上の人物は米軍のB29による日本への無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ。
7月2日の宇部には約100機以上のB29が600トン以上の焼夷弾を落としたということです。
B29の大きさ、機体の長さ30m、全幅43mを実感させるため、ロープで示されました。

右上は、7月2日の爆撃開始後しばらく経った時の宇部市街部の写真で、米軍は今後の攻撃技術向上のため、このような記録を残しているそうです。

右下は終戦後だったかに撮影された空中動画で真締川の緑橋かの河畔を強制疎開させていたところが移っているとの説明でした。後の海老名さんのお話の中でも、隅田川の河畔だったか、同じ強制疎開させられたところがあったようです。

左下は、ロビーで展示されていた、焼夷弾で、これが19本×2段に詰められたものが2655発、ということは10万本と、この他、爆発税のある焼夷弾を合わせて投下したとのことです。

とにかく会場では充実した詳しい資料が配付され、本当によく準備されたものと感心いたしました。
昨年10月に行われた小羽山小学校の平和学習会での児童達にしっかり受け取られたこともよく理解できます。

岡本さん達、関係者の努力によって、宇部市においても、大空襲慰霊碑の設置を検討中ということのようです。

その後、故林家三平さんの伴侶、海老名香葉子から下町大空襲で疎開中に16人もの家族身近な親戚を一度に失ったのお話を直接伺うことができ、非常に貴重な体験をさせていただきました。

長年にわたり、11歳で戦災孤児になってからの、過酷な体験、その中で優しい人情にも出会ったときのありがたさ、などが語られ、とくに、吉永小百合さんに似たお母さんとの別れや、よく聞かされた、「まっすぐ歩きなさい」、「大丈夫だから、大丈夫だから」という言葉に励まされてきたことは印象に残りました。

聞き取り能力が低下している者にとっては、岡本さんが準備された「海老名香葉子さんの人生行路」にも要点がまとめられていて、後で読み返してみると非常によく理解できました。

林家三平さんに嫁がれてからは、幸せな人生を歩まれたと思います。三平さんは毎年欠かさず、3月10日には香葉子さんと元の家のあとに花一輪を供えに行くことを忘れなかったということです。

三平さんがなくなられてからは子どもさん達の理解も得て、自らの哀しい体験をもとに、二度とこのような悲惨な戦争に巻き込まれないよう、後世にに伝える活動に邁進され、2005年3月には、上野公園に、慰霊碑・哀しみの東京大空襲と、母子像・時忘れじの塔を建立され、併せて除幕式が行われました。https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-03-10/01_02.html

香葉子さんのこのような活動は、中国や、韓国などにも及び、日本人もこんな悲惨な目にあっていたのかと、共感を持って受け止められたというお話もたいへん印象に残りました。
https://www.youtube.com/watch?v=Zk_ikjT8dzI
東京大空襲から66年 上野で慰霊式典
https://www.youtube.com/watch?v=UoeYqj2djII
東京大空襲:妹2人失った、金栄春さん 朝鮮人の被害知って

ご参考までに、二つの記念碑の位置をGoogle Mapから、示しておきます。住所wを入力すると、その場所を知ることができます。

コロナ禍やウクライナ戦争の影響下、戦争の悲惨さを知らない人達が、ただいたずらに国の安全の不安をあおり、近隣国との緊張感を高めるのではなく、外交努力と草の根の交流によって、戦争を避ける努力をしなくてはという思いを新たにしました。

いろいろな意味で多くのことを学ばせていただきました。
サービス精神にあふれた岡本正和さんはじめ、企画に協力された方々、遠方よりご高齢をおして、来宇いただいた海老名香葉子さんに敬意と感謝の意を表します。(文責:浮田)

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