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三丘徳修館に徳永豊さんを訪ね、里山再生の現場を見学しました。
2017年08月05日
周南市リサイクルプラザ“ペガサス”を見学して、途中昼食を摂った後、元熊毛町の三丘徳修館に昨年度サロンで話していただいた徳永豊さんを訪ねました。
暑い日でしたが、33名(うち子ども1名)の参加者全員元気に現地も歩いて見学することができました。
まず、杉村洋治徳修館顕彰保存会会長による講話がありました。
徳修館は三丘領主の宍戸就年が1809年に創立した学校である。毛利藩の中では19の郷校のうち最後から2番目にできたそうです。
江戸時代から山口県は非常に教育に熱心であり、郷校の数では日本一、私塾の数も全国三位、寺小屋の数も全国二位。三丘には寺子屋が4つあったとのことです。
明治の廃藩置県で11000石から1100石に減らされたため、維持が出来なくなり、廃校になり。その後、役場になったり、女子実業補習学校、徳修高等女学校、県立熊毛北高等学校に引き継がれたが、1981年に同校が移転したあと、山口県の34の有形文化財(建物)の一つに指定されました。
三丘徳修館は島田川の上流、大内時代に山城のあった城山の周りに狼煙台が置かれた三つの丘があった 三尾城城番蔵田冶部教信は大内時代陶晴賢謀反に敵対し杵ケ迫に逃れ自害したとのことです。
http://www.sakura64.sakura.ne.jp/contents06takamoriichiziri_nakayamatao.html#sasugawa_kakudai
講話の中で、孔子の教え儒教の説く五つの徳目について、「仁、義、礼、・・・あと二つは何ですか」、問われ、「忠」と、「孝」かなと思いきや、正解は「智」と、「信」でした。
昔はこれらの字の入った名前が多かったですが、いまは全く状況が変わっています。
いずれにしても、最近は随分、論語や儒教から遠ざかっていることに気づかされました。
講話のあと、隣接の徳修館を案内していただきました。
2008年、200年記念事業として、顕彰保存会が発足するとともに、孔子にゆかりの深い楷の木(カイノキ)が植えられ、孔子や先師に野菜を供えてまつる釈菜も復活しました。
また翌2009年には大変立派な孔子の石像が山口県と友好関係のある山東省から寄贈されています。山東省の曲阜市には孔子廟があります。
中央の赤く見えるのは木主というものですが、仏教にとりいれられて位牌となったそうです。
左側、孔子を中心に、左から、孟子は鄒(すう、現在の山東省鄒城市)の人。亜聖とも呼ばれる。
曽子は孔子の弟子で、諱は参(しん)。字は子輿(しよ)。魯の武城(現在の山東省臨沂市平邑県武城)出身。子思は曾子に師事し、子思を通し孟子に教えが伝わった。
顔回は魯の人。孔門十哲の一人で、随一の秀才。孔子に将来を嘱望されたが、孔子に先立って没した。
子思は孔子の孫。孔子との面識はほとんどないが、曾子の教えを受け儒家の道を極めた。
朱子学では、顔回・曾子・子思・孟子を合わせて「四聖」と呼ぶ。
(以上ウィキペディアより)
下はおそらく釈祭(せきさい)で、ささげものを入れるいれもの。
右の写真は、唯一の小学生の参加者から、「柱に何か書いてあるが、どんな意味か」をきかれたので、杉村さんが、「何かを事を起こす場合、その終わりを想い描いて、はじめによく考えてものを言うことが大切だ」といったような説明をされているところです。
徳修館の少し上に幕末の領主で、第2次長州征討戦争で芸州口の指揮官として、幕府軍を撃退した、宍戸親基公の碑、その上に宍戸家の住宅がありました。
このあと、現地見学した、もと熊毛北高校グランド跡の竹林伐採地も宍戸家の所有とのことです。(第2報につづく)
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