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ついでに、下関見聞録(その3)です。
2017年02月22日
あるかぽーと東防波堤から関門橋を見た写真です。
左側が山口県、右側が福岡県です。
さすが海峡都市下関は見所が多くていいですね。
唐戸市場の山側にある亀山八幡宮にお詣りしました。
掃除されていた神職の方に、句碑に「薫」とありますが、なに薫さんですか、ときいたところ古川薫さんということでした。
その後、ここに下関戦争の砲台があったこと、ここだけでなく、数カ所にあったこと、赤間神宮近くに、構想マンションが建ち、景観を大きく損ねていること、この八幡宮は、859年に、都の守護のため宇佐神宮から京都の石清水八幡宮に勧請される途中、この島の麓に停泊し、建立されることになったこと、神仏習合の伝統を大事にしたいことなどなど、色々教えていただきました。亀山砲台跡
先日、矢野大和という大分宇目町の宮司の方の講演をCDで聴き、自然の全てのものに神が宿り、敬虔な気持ちを持つという、日本人の特性を再認識させる話も紹介し、ただ神道もこれからは、日本だけの琴を考えるということではなく、世界の規模で考えなければならない時代ですねと、一t議論もしました。
先ほどの神職さんが話しておられたように、多くの砲台が置かれていたんですね。
亀山八幡宮は写真の一番下側の砲台のところでしょう。
幸い、赤間神宮のこの位置からは、高層マンションが景観を損ねている状況ではなかったですが、もうすこし下ったところから北側関門橋の方角を見れば、じゃまになっていると思います。
実際、すぐ北側のとなりの神社からは大きく、すでに紹介したように景観が損なわれていました。
赤間神宮のとなりに、壇ノ浦の合戦で敗れた平家一門の墓があります。
赤間神宮の裏山を少し登ってみましたが、常緑広葉樹林です。火の山は昔軍事上重要な場所であるとして立ち入り禁止にされていて、そのために原生植生が残っているという話を聴きましたが、ここも同様かもしれません。
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