児玉典彦先生の特別講演(3月19日)の概要をまとめました。
2016年03月21日
児玉典彦先生の特別講演「子どもたちの未来」では、
1)経済成長と共同体の崩壊、2)子どもの貧困、3)共同体の再構築
という流れで、現在の子ども達を取り巻く状況、中学生が抱える問題について、大変興味深い、お話をしていただきました。
児玉先生が校長を務めておられる下関市立川中中学校は生徒数650名の大規模校で、勉強についていけない子どもたち、発達障害の子ども達も多く、学校だけで対応しきれない状況にあるそうです。
冒頭、「われわれが「自由」と引きかえに、失ったものは何だと思いますか。」との質問がありました。「規律かな?」と思いましたが、「絆」である、絆を失うと孤独になると言われました。
なぜそうなのか、わかりやすいために、経済成長の恩恵として、何でも欲しいモノが手にはいるようになった。自分の欲しいモノを買える自由と考えてみると、昔のような三世代の大家族の絆の中では、色々な考え方や、好みによって、自分の好きなモノが買えません。
いまでは、モノだけではなく、冠婚葬祭、建築、病気、介護、消防など、地域の絆も、サービスとして商品化お金で買えるようになったり、行政に委ねられるようになった。
「消費は美徳」といわれ、都会に出た若者は、自由な消費生活ができるので、家族の絆が邪魔になり、結婚しないことになる。
ちなみに、東京は若者が多く、従って婚姻率がもっとも高いが、逆に出生率は最も低い。
しかし、お金で何でも買えるようになったが、お金がなければ何もできないということでもある。
東日本大震災で、「絆」が強調されたのは、それがなくなっていたからだが、遅きに失した感がある。
経済成長は発達障害の子どもたちを表に出してきた。650人であれば、学年で10人くらいはいる。人間関係が苦手、顔の表情で相手の気持ちを読めないなど、コミュニケーションがとれないところに特徴がある。教壇からやってほしいことを伝えても、わからない子どももいる。
男らしさの表現として「昔男は三年に一度 方頬で笑えばいい」と言われていたものだが、それが、今職人の仕事が機械にとってかわられて、コミュニケーションをとりながら仕事を進めるしかかなくなっている。そのような世の中になった。
子どもの貧困についてであるが、そもそも貧困家庭の定義は等価可処分所得の中央値の半分以下をいうようだが、相対的なもので、たとえば、分布をとって、年間400万円が中央値とすると、その半分200万円あたりが貧困家庭とみなされる。
日本ではいまその割合は15.3%とされる。
40人クラスだと、2,3人(3,4人?)。これでも途上国に比べると豊かといえるが、富裕層に比べて貧困ということになる。
実際、生活保護を受けていてもスマホを持っている子どもも多い。
実際には夫婦共働きや、母親が夜も働いているなどで、親が充分こども達の面倒を見れないというところに問題がある。三世代同居だとか近くにじいちゃん、ばあちゃんが住んでいるとか言う場合は、色々な場合でも、行き届いて面倒を見ることができる。勉強も見てやれる。
小さいときに、身につけた認知能力、情緒的安定性などは、その後の学習能力に大きな影響を与える。
小学校で勉強習慣がついていない子は中学校の勉強について行けない。
荒れる子は、勉強すると、勉強ができないことがばれることをいやがって、勉強しない。
このような子には先生がインフォーマルに勉強を少し見てやって、下校時に雑談でもしてあげることができれば、子どもたちのこころは開かれるのだが、先生にその余裕はとてもない状況である。ストレス、体調不良で、退職する先生もいる。
もともと学校は学びたいという子どもたちを勉強させる場であって、どうしていいのかわからないというのが正直なところである。
戦後、学校は先生とPTAが協力して、うまく運営してきたと思うが、今は、親が共稼ぎでPTAが実質上宇鳴く機能していない状況にある。むかしは、商店主、中小企業の人や、自営業、それから主婦の人達がいたが、いまはあまり期待できなくなっている。
そこで山口県が進める、コミュニティースクールであるが、学校は、PTAに代わって、地域の色々な経験を積まれたリタイア世代に学校に係わってもらい、この役割を期待しているわけである。
中学生は地域の行事に参加すれば戦力になる。地域の人から感謝されると子ども達もやりがいを感じる。大人達との交流から何かが生まれる。地域に愛着を持つようになる。一旦都会に出たとしても、地域に戻ってくる。地域創生にもつながると思う。
そろそろ「幸福観」の転換が必要な時期だ。成長主義から脱却し、「利己から離己へ、そして利他へ」進んでいくべきではないか。
質疑では、
○われわれにとっては新しい視点から、コミュニティースクールで地域が学校から何を期待されているのかをよく理解ができた。つい最近まで、子どもたちの「生きる力」を育むには、小学校低学年に照準を当てるべきだとかんがえていたが、先日も、ボランティア精神とか利他心というのは、ある程度自我が形成されつつある中学校時代も非常に大事だと言うことを認識する機会があった。また、今日のお話を聴いて、そのことを再認識できた。たいへんありがとうございました。
○「離己」というのはどのような意味なんでしょうか。
→アンパンマンとバイキンマンは「善」と「悪」の象徴ではなく、「利他」と「利己」の象徴です。アンパンマンは利他心があって友達も多い。自分だけではなく他の人も幸せにすることによって自分も幸せになれるということを、作者は伝えている。
利己からいきなり利他はむずかしいかもしれないので、まず離己、自分の事からはなれてみようということで、それによってさらに次の段階に進むことができるという気持ちです。病気を体験してそのようなことを考えるようになった。
○昨年から学校で放課後勉強を教えたりしている。子ども達から親御さんに伝わっているか、おぼつかないと感じることがある。
〇PTAとどうコミュケーションをどうとればいいか。
→先日も学校運営協議会で、地域の人からPTAへの不満がきかれた。先ほど、お話ししたように、それがPTAの現状であると思う。
○初等教育、中等教育において、子どもたちにしてみれば、色々不平等があり、不条理を感じていると思う。その中でも、是非、その子どもたちにそれを跳ね返す力を与えてやってほしい。全体ということではなく、その子どもそれぞれに応じた対応が必要と思う。
→その通りだと思う。子どもたちは教師の言葉には耳を貸さないが、地域の人と交流する中で、こころを開くことがあるので、先生が気がつかないところを手伝っていただく、勉強を教えるなど、支援していただくとありがたい。先生もなかなか大変で昨年度は3名が退職を余儀なくされた。地域の人が何らかの形で支えてもらえばありがたい。
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