菊池省三先生の特別講演「未来をひらくこども達の“生きる力”を育む」(2015.3.14)の概要をやっとまとめました。.
2015年03月31日
お話はまず、拍手のやり方から。拍手も大事。これもほめ言葉です。「はい!、つよく、こまかく、元気に拍手しましょう。」から始まりました。
昨年は70日、夏休みは25日 セミナーや講演に出向かれたそうです。
・学級でも100人いれば100人の接し方がある。34名の子どもの後ろに、その倍に近い大人になりきっていない親もいる。教育はたいへん。(北九州市には131小学校があり、526クラスで平均は5,6クラスだが、北区の小学校は1クラスのみ34人)
・昔は、こわい先生もいた。やさしい先生もいた。大学出てまもない若い先生もいた。
今は教師の新採用も少なくなり、クラス数も少なくなっているので、父親役、母親役、元気な若者役、一人何役もやらなくてはならない時代になっている。そもそも無理な状況。
・昭和63年以前は師範学校出身の校長先生がいて、後輩を一人前の教師にすると言う使命感があった。
・若い教師は、うまくいかないのは、自分外の責任であると考える傾向がある。
子どもに対する愛情が根本だ。
など、日頃直接接しない、学校現場のお話をいろいろ聞くことができました。
全国ですでに40近くの「菊池道場」の支部ができているようですが、北九州の場合、教師の相互研鑽の場として、セミナーなどと違って、一人一人の問題に対応するということになると、夜7時から明け方の3時4時まで掛かることがあるそうです。
自分の学級運営だけで大変と思うのに、地域の先生方の悩みを相談し合い、さらに全国に出かけて行って、語られる。すごい先生です。
動画は以下で見られます。https://www.youtube.com/watch?v=7ep5ihg-ZSM
教室では、こども達に基本的な礼儀や躾けと、他人を思いやる気持ちを持つことを教えるとともに、こども達の自主的な運営にも留意されているようです。
先生はたくさんの価値語をつくっておられ、日替わりでこども達に意識づけをさせています。
価値語と言う言葉も、おそらく先生の造語でしょうか、たとえば
「ありがとうは 世界でいちばん いい言葉」
「おもてなし、最初の一歩は笑顔」(ウキシスとしては「笑顔は 最高の おもてなし」)
「コミュニケーションは人を好きになるため」 など、
ちなみに、このブログをアップしている、3月31日の価値語カレンダーは「他己中(たこちゅう)」でした。
・公にふさわしい仮面をかぶろう。教室は公の場所。
・教室に入ったら世のため人のためになることを考えよう。
・生徒達の相互評価として、A、B、Cで、成績ではなく、進化の度合いを評価する。
Aの上は、さらにスペシャルAに成長しよう。
SAの評価は、「相手も自分もみんな大好き」の段階である。
北区の小学校の5年生を受け持つことになったころ、当時、小学校からその地区の中学校に行く人がいないような状況だった。
うっちーと呼ばれていた生徒、エジソン、アインシュタインとも言われていた。発想がユニークな子がいました。天然パーマでいじめにあっていたが、それがチャームポイントに変わる。 割り算になると、荒れる、暴れることがあった。最近けんかしない、母親がなんでと聞くと、けんかする理由がなくなったから、と答えたそうだ。
ビデオで、寝ていた子がいましたが、家庭内で父親に虐待を受けていた。(お母さんも受けていた由)、腕にやけどのあともある。(父親に自分もお母さんも虐待を受けていた由)この子も、5年生の1年間で変わっていった。
ほめ言葉のシャワーは、こども達が、それぞれ友達のいいところ、良くなったところを見つけて、1人ずつ教壇に立たせて、友達のほめ言葉を聞くと言う時間が設けられるようである。この子の場合は、以下のようなやりとりがありました。
「貧乏ゆすりがなくなりましたね。」 はい。
「・・・・ちゃ、がすくなくなったね。」 はい。
「先生の手の動きを見て、授業をよく聞くようになったね、・・
「名前を丁寧に書くようになりましたね。」
「いい意味で空気を読まなくなりましたね。」
・・・・
などなど
好き嫌いがあるのは仕方ないが、小さな○をつけあう。そうすると、子どもが安心する。
ほめ言葉のシャワーは先生からのほめ言葉かと思っていたが、こども達が、それぞれ友達のいいところ、良くなったところを見つけて、これをシャワーのようにあびせるというやり方であった。
ビデオを見ると、ほめる生徒と、それを聞く生徒はきちんと正対し、相手の目を見て、礼儀正しい受け答えをしていることにも感心した。
また、身振りとともに、すわりかたにも言及され、立腰せず、足を投げ出して座っている。これはこども達が一斉指導型を拒否している。
それで、そういう子には「排除」の理論が適用される。調整 どちらもととのえるだが、「調」はいろいろ考えて、「整」は整理整頓 管理社会では「整」の方に偏っている。
最近こども達は「セミナー」何時あるんときく。こども達も出席したがる。
3月8日にそういう機会があった。こども達も参加したが、4人のこども達に9人の先生方が質問し、子ども達は次のように答えた。
・1年で自分らしさを見つけましたか
→先生のしゃれが分かるようになりました
→D語(でも、だって、どうせ)からY語(よしやるぞ、よしやろう)が多くなりました。
NHK「プロフェッショナルの流儀」2ヶ月と1週間5000分取材が50分に編集された。
通勤風景、普通は裏門からはいるのに、正門から入らせ、50 mの間を何度もとる。
こども達に、朝一番、どう接触するのかを撮ろうといたらしい。
ある日、教員室に入らずに、教室あるいは廊下の窓から、こども達が登校する姿を眺めていた。というシーンを撮られた。
ディレクターの川原礼子さんからの例の質問「プロフェッショナルとは」20秒で語ってくれとのことで、咄嗟に「自己否定もしながら、それを苦にも思わないで、進化しつづける」と答えられたそうだ。
北九州の先輩教師である恩師の桑原先生 若い人を育てるのに熱心な方だった。
「国語、道徳を楽しくやられる理由は?」と聞いたが、「好きだから」と答えられた。
「文学はどうやって教えてるのか?」と聞いたが、「知恵無い者は知恵を絞れない。知恵をつけるために、話を聴く、本を読むことが必要」と答えられた。
また、「文学は、人間の可能性を信じるためにある」とも。なかなか恩師を超えることができないとのこと。
現場、教育委員会、組合などそれぞれの自分たちの組織の立場にこだわらず、みんなが力を出し合って取り組むことが必要な状況になっている。
たしかに、本当に教育界も医学界も政治家も何もかも、変わらなくてはならない時代である。
新山口までお送りするとき、社会に自分の経験や思いをいくらか広く伝えられるようになってきた中で、それを大切に活かしたいというお気持ちも語られた。本務での、こども達の指導のほか、菊池道場における先生達との切磋琢磨や、同僚や後進の先生の抱えている問題への取組のほかに、このような活動に対して、ありがたいと思い、使命感を感じておられることに感心しました。
日頃、自分の思いを、若い人達に伝えようとしても、伝えられない、もどかしさを感じている者にとって、そのような立場に立てる人はたいへん貴重であるので、がばってほしいと、心からそう思いました。
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