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時広健次さん(中央銀天街商業協同組合理事長、再開発推進協議会会長)から、中心市街地の活性について、「まちづくり」を考えようというテーマで長年の苦労話をききました。

2013年09月15日

 時広さんはS53年以来H9,10年を除いて、現在までずっと組合の役員をされていて、H9年ごろから本格的にまちづくりに関わられることになる。
 組合も16年前まではイベント中心に活動、20年間の中で、景気のよい時代、多いときは年間1千万円、年間136回のイベント開催を行ったこともある。また、再開発に関する地元地権者との会合は年間700回にものぼったこともあるそうだ。それにもかかわらず、S58小野田のサンパーク、H11年フジグランの開店があり、時代の趨勢でまちは衰退していく。
 H5年に藤田さんがまちづくりを公約の一部に掲げて当選され、法律改正に先んじて、行政の動きが見られるようになる。H9年ごろ宇部市は、再開発に手を挙げる地域を募集したが、O9が撤退後の一番街だけ手を挙げた。
 一番街は美術館あるいは博物館を要望していたが、自分は反対した。見せるものがないこともあるが、駐車場の確保がむずかしい、県内の状況を見ても効果が見れなかった。
 宇部貨物の跡地の蔦屋などの開発も手がけていたダイワハウスが一番街に1億円投資をすることになり、ジョイフルなどができた。

 次の段階として、組合として補助金を得てコンサルタントを呼び、どういう風に補助金をもってくるかなどについて勉強した。
 まちづくり三法(①改定都市計画法 ②中心市街地活性化法 ③大店立地法)がH10年から施行(大店立地法はH12)されたが、要は、大型店が外に出ないよう工夫し、計画をつくり、大店舗を誘致するということである。
 行政側から、地元権利者と行政の間の橋渡し役としての受け皿団体をつくってほしいという要請をうけて、再開発推進協議会(商業者、自治会長、民生委員など22名)が発足する。
 宇部市からH10年、「緑と花と彫刻のまち」の中で中央町としてのイメージをつくってくれといわれ、右の図のようなものをつくった。道路の中心線から12ha のエリアについて中活法にもとに、地元の意向を反映してコンサルに作成させたものである。
 市としては全部はできない、まずどこか一ブロックからということで、当時一番状況がひどかった、第1地区が手を挙げて、なんとかまとまった。市としては中心部に手を挙げてほしかったが、その期待には沿えなかった。別途市は300万で絵を描いていたが、地元権利者のことも考えないものだった。
ともあれ、市から第1地区の計画を東京のコンサルタントに委託され、その結果市場を中心とした絵が描かれた。これも地域の実情をあまり考慮していないものだったが、説明会が河長であり66名中、40数名集まった。

 真締川から西は戦災を受けず、区画整理がやられていない。国の予算は導入しやすいが、地権者に対して強制力が働きにくい。また一方、地価が最盛期は坪100万円今は10万円以下だが、当時はまだ景気もよく地価が高かったので、地権者の意向もまとまりにくい状況にもあった。

 H11年ごろ まちづくりに豊富な経験がある藤本昌也教授に相談するようになったが、
3原則として ①速やかな合意 ②事業性の担保 ③社会性がある計画 が挙げられ、地元の底地の形態を可能な限り維持できるように考える。権利関係が、複雑なところではこの考え方は大事であり、一方で権利者も全体のことを考えて協力すべきだ、といわれた。
 この考え方を権利者に伝えることはたいへん困難だった。老若男女様々な人がいる。この頃は権利者の理解を得るために、朝昼晩と毎日会合を開いたこともある。

 第1地区については、法定再開発で、補助率が高く、ある程度強制力もある。ただ、容積率などのハードルがあり、200に近づけるようにという条件が課された。幸い太陽家具の理解もあって、H14-~17年の事業で実現した。
 また宇部市が借り上げ市営住宅(2LDK家賃75000円のうち市が25000円、国が25000円)を組み込んでくれて、事業性が担保できた。市としては建設費がかからないし固定資産税もとれる、管理費もかからないという利点もありいい事業であると思う。しかし後に国の補助分はなくなった。
このあたりで、生活が完成できる商業エリア、300m範囲内で歩いて生活できる都市型居住区を備えた生活し続けられるまちづくりを目指すことになったといえる。

 さて、H13年、第2地区についてもの検討してはという誘いがあった。区画整理事業から、トーンダウンして、市営借り上げ事業も家賃の補助率を1/2、1/4、あるいはやめるというように、はしごを外されていった経緯がある。
 宇部市は、三セクはだめで、商工会議所にTMOを担わせた。しかし役所の中を横断的に動いて役人を動かすことはむずかしい。また商工会議所は経産省ベースで、ハードよりソフトという考え方である。

 平成18年に中心市街地活性化法が改正され、選択と集中の考え方で、認定市街地活性化事業の認定を受けなければならなくなっている。下関、山口、周南はすでに認定をとっている。中活法の事務窓口は県ないし中核都市だが、宇部は県になるので、順番待ちになる。認定を受けられると、全省庁から一括して補助金を受けることができる。いろいろな条件もあり、やりにくくなっている。

 そんな中、第二地区の計画はもたもたしていたが、藤本先生の助け船で、予算を抑えた住宅市街地総合整備事業を検討した。これは民間型で、強制力がない。宇部市は1/3、1/4の予算で過大な期待がされる。その上リーマンショック、ユーロ危機などがつづき、地権者の意欲も冷えていった。
 その間、批判もあったが、駐車場もつくった。そのお金で新たな開発にも活かしていく予定である。

 いずれにしても、少子高齢化 一世帯あたり2.2人とかの時代 コンパクトシティーにして行政効率を上げるのが時の流れである。「医食商住のまちづくり」をテーマとして、縦横の導線を整えていく。
 生活者を取り込むことが重要で、生活必需の最寄り品80万円/人・年とみると、100人で8千万円。小さい店が4つほど成り立つ。特殊なものは、ごくわずか。一部はあってもいいが。そうでない部分がほとんどである。

 今は、時期を待っている状況。宇部市の有利な点は道路は完璧なこと。拠点と拠点を結べる。あきらめてはいけない。
 チャレンジショップ関係で8件の内、2件は決まった。6件はマッチングがうまくいかず残念だが断っている。
 未来会議とのチャレンジショップの募集や、シェアハウスで医学部の学生などに入居してもらう構想もある。
 新天町も結構苦戦している。後継者がいない。年金がなければやっていけない。商業の年収は200万円ないのが多いのでは。中山間の農業に似ている。
 アメリカの圧力により大店法の撤廃によって、過疎化が一層進行した。地域コミュニティが崩壊し、地域の安全性も低下する。町の安全安心にとって商業者の存在は重要だと思う。

議論:

Q 商店同士のチームワークが大事ではないか
A 組合員さんには大きな期待はできない状況 ただ、今残っている店は大丈夫。
  すでに閉まっている店や、やる気のない新しい人に入れ替われるような環境が必要。
65歳の後継者に次いでもらうのも実際的かもしれない。それに若い人たちが絡んでくれればありがたい。

C 新しい人を受け入れてくれるような商店街であってほしい。若い人が関わりだしたのは最近になってから、ここ数年が非常に重要な時期と思う。
A 若い人たちが、自立自走できるようにならないといけない。
いろいろな人との関わりがでてくるが、寛く受け入れていく事が大事と思っている。

Q チャレンジショップ6件断られた理由は
A 空き物件の条件が整わなかった。改装をしてまで貸したくないとか、そこまで手をかけてまで入りたくないとか、いい場合は大家さんがむずかしいケースもある。相続者と連絡が取れないこともある。同物件で複数の相続者の所有になっている。
 
C 25年ぐらい前に10年間ほどトーク宇部21の活動をやった。長い間のご苦労に敬意を表するが、「まちづくり」と「街づくり」で、少し違うような印象がある。前者は地域を包括したまちづくり、後者はまちなかの街づくりで、時広さんの話は後者の方ではないか。
何故20年間、苦労されながら、行政の力も不十分だが、うまくいかなかったのは何故か。
 市役所の職員も成長するのではないか。
 行政の縦割り、相手する市民側も縦割りではなかなか、トップに上がりにくく、地域、分野を横断するようなコンソーシアム、話し合いの場をつくらなければブレイクスルーしないのではないか。役所を当てにするとか、役所の規制を気にするのではなく、順序を逆にして、皆でまずどういうまちづくりをするかがあって、行政の補助だとか規制だとかは後で考えることと思う。

C 路上観測物件的なものやや昔の看板がそのままになっているとか、一般市民は地元の人がもう意欲を失っていると見える。こいう総合的な話合いの場をつくって、世論をつくって、法律や制度を変えて行くくらいの気持ちでやらなくてはならない。

Youtubeは以下です。専門外なので誤解している部分もあるかと思いますが、ご指摘ください。(文責:浮田)

http://www.youtube.com/watch?v=2-Zu-SPfpXs
http://www.youtube.com/watch?v=srTzA8wqAUM




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