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対人関係の悩みにどう対処すればいいでしょうか?

2023年06月01日

生活がきびしくなったり、精神的に余裕がなくなると、誰しも ♯対人関係 がぎすぎすしてしまう傾向があります。

また、一般に齢を重ねると、それぞれこれまで生きてきた経験から身についた自分なりの考え方にこだわって、柔軟性がなくなります。

自分を虚にして、相手の主張を柔軟性をもって聞き、相互に理解し合うことが対人関係では重要なことです。

仏教に説かれているように、小さい自分(小我)を捨てて無我になり、さらに大我を目指す姿勢をもちたいもの・・。

小我、大我については、須磨寺の小池陽人さんが、5年前の動画で、「【小欲から大欲へ ~無我の大我~】と題して、わかりやすく語っておられます。
https://www.youtube.com/watch?v=Ae6p2COnxMY

彼は、この混迷の時代、「葬式仏教」ではなく、如何に生きるかを示す、仏教本来の教えを、広めるために活躍されている若手僧侶の一人です。

関連して、親鸞の「悪人正機説」が、ますます混迷を深める現代において、問題なく通用するのかが気になるところです。

ネット検索してみると、一番目に出てきた記事は、恵まれない家庭環境や、色々な状況によって、反社会的な行動に走らざるを得なかったことも達を救う活動をされている方のブログでした。
https://ieiri.net/blog/archives/3539

これについては全く異論がありません。しかしあくまで彼らのこれからの人生に対して支援することが主眼であると思われます。

二番目に出てきたのは、教育評論家として著名な斎藤孝さんの著書「図解 歎異抄」ウェッジブックス の紹介文です。

善人も、多くの悩みを抱え、自力で往生できる人ばかりではありません。確か歎異抄では、自力で往生できると思うのは、おこがましい慢心ではないかと教えていたのではないでしょうか。

3番目には、うべっくるブログの、同じ疑問についての6年前の発信が出てきました。
http://ubekuru.com/blog_view.php?id=4471
親鸞の「悪人正機説」は現代でも通用するのか。2017年05月03日

アクセスは2800程度で、前後の発信より900程度多く、意外にこの類の発信への関心は高いようです。

このときよりも今の方がもっと「悪人正機説」に対する疑問が強くなっていると感じます。
皆さんはどう思われますか。


6番目の記事には、『在家仏教』亀井鑛さんの寄稿よりとして、
https://shinkoji-enichizan.com/precept/1401/

小学校5年生を教える先生が、放課後、二人の子どもが教室でけんかしているのを見つけ、その訳を聞くと、お互いに「相手が悪い」と言ってゆずらない。
そこで先生は、「自分は良くて相手だけが悪いと、本当に言い切れるのか、いっぺん胸に手を当ててよく考えてみろ。そして思いつくことがあったら職員室へ来い」と言って、しばらく時間を与えた由。

小一時間後、子供たちは二人で職員室にやってきて、
「考えてみたら、自分にもまちがっていた所がありました」と一人が言う。
するともう一人も、「自分にも悪いところがありました」と言い、二人で頭を下げた。

先生は二人に、以下のように言ったそうです。
「善人が二人そろうとけんかする。悪人が二人そろうと仲良く頭を下げる。これ、不思議だと思わんか。」

この記事は以下のように結ばれています。
私たちは知らず知らずのうちに、自分のことを「善人」だと思い込んではいないでしょうか?
この私こそが「悪人」であることに気づいたとき、「悪人をこそ救う」という阿弥陀如来の本願が、「お前を救わずにはおれないんだよ」と、この私に呼びかける声(南無阿弥陀仏)として聞こえてきます。

すこし難しいです。まあこの度は、子供のけんかを例にして、最初の問題提起に偶々戻ったのでこのあたりで終わりにいたします。(文責:浮田)

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