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3,4年前のNHK-Eテレ100分de名著の動画がたまたま視れたので、その中で印象に残った部分を紹介します。
2021年12月08日
代表的な仏教の経典の一つである「法華経」ですが、「誰もが平等に往生できるという平等思想から対立や差別を乗り越える智慧」が説かれているということです。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に出てくるデクノボーは法華経に出てくる常
不軽菩薩のことですが、指南役の方の解説では、自分はいつも軽んじられるが、いつも相手を軽んじず、そういう生き方に徹すると最終的には軽んじられない自分になるということであるとか。
長谷川等伯による松林図屏風は、大変印象的な墨絵ですが、番組では、それが生まれた経緯について解説されていました。
城郭の壁画を制作中、大切な息子を事故で亡くし、狩野派の陰謀ではないかと秀吉に直訴して、却って怒りを買い、納得のいく絵を描いてみよといわれたが、筆が進まなかった。
しかし、覚ろう覚ろうとしているうちに、はたとして、自分の足下に覚りがあることに気づき、妙覚に達し、松林図が完成できたという。
「雪山は、釈迦如来と多宝如来であり、それに向き合う松は諸仏であり、庶民であり、他界して魂となった者たちである。そしてこの絵が人びとを覚りにいざなう曼荼羅であり、自分そのものなのだ。」と解説されています。
法華経の中で、仏陀が「教えを広めることは非常に難しい。この難しさに比べるとヒマラヤの山を片手で掴んで放り投げることなどはたやすいくらいである。」というようなことを言われたそうです。
これまでになかったような人類文明の行き詰まりが感じられる現在、その認識を共有できない状況を考えてみると、いくらかわかる気がします。
最後に、日本でも、これまでのようにお墓を守っていける家が少なくなってきている状況を考えると、ブッダは、真実の教えである「法」が伝わることが大事で、お骨を納めるストゥーパはさほど大切ではないと言われたことにも、考えさせられました。
ただ、法と自己の自己と、等伯の妙覚のところで出てきた自分も、意味合いがやや理解しきれないところがありますが、少なくとも小我ではなく大我あるいは真我という意味でしょうか。(M.U.)
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