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新型コロナの災禍を機に世界はどう変わっていくのか。
2020年08月22日
新型コロナ終息の見通しが得られない状況であるが、この災禍を機に世界はどう変わっていくのか関心のあるところである。
最近の新聞記事の中から目に付いたものとして、まず高橋源一郎氏の論説がある。カミュの「ペスト」について、「ペスト」そのものを書いたものではなく、ペストを題材に「戦争」について書いたものであるとされ、「震災」、「感染症」、「戦争」の災禍はわれわれに暗闇の中で大切なものを浮かび上がらせるが、その後忘れられてしまう。そうならないように作家たちは書き残すのだという指摘である。
世の中の動きを見ていても、コロナを機に、人類の持続可能な生存を考えるいい機会にしたいという人達もいれば、排他的なナショナリズムを志向する人達もいる。
書棚にあった「日本人の社会病理」講談社文庫1986年刊を、日本人の特性を理解すべく読んでいるが、なかなか難解で読み切れない。
左上の図はこの本の企画にあたられた五代氏が巻末の解説で示された西洋文明の父性原理と東洋文明の母性原理の家庭モデルであり、山本、小此木両氏の対談でもこの対比についてはたびたび触れられていた。
たとえば、家庭内暴力では米国では親が子供を虐待する、日本では子供が親に暴力をふるう。神と人間の間の契約。パウロによる内的規範と外的規範の分離、外的規範は法律、内的規範は信仰。日本の場合は根回しによる建前尊重、農耕文化による同調社会などなど。要は永年培われてきた国民性は根強いもので、なかなか変わらず、明治維新、第二次世界大戦後の社会制度の移入もうまくなじまないということか。
なお、山本七平氏はイザヤペンダサンの名前で1971年「日本人とユダヤ人」を出されて、大ベストセラーになった。書庫のどこかにあるはずだが、見当たらなかった。ネットで書評や読後感を検索したが、批判的な読後感の一例を示す。
一方、浅見定雄著「にせユダヤ人と日本人」朝日文庫1986年刊は「日本人とユダヤ人」を厳しく批判したものであるが、これについては橋本忠雄氏の書評が参考になる。
http://www.hashimoto.or.jp/dr/bungei/syohyo.yudaya.html
最近、公文書の軽視が心配であるが、敗戦時戦争関連資料が焼き尽くされ、
事実の検証を著しく難しくしているという、熱血与良氏の指摘である。
人が忘れるということ以前の、倫理観の問題である。
終戦記念日の第一面の余録欄には、その具体的な焼却命令について書かれていて、印象深い。
田中優子法政大学総長のコラムで、江戸時代の学問が「徳」を養うことを根幹にし、現代の政治家にそのような「徳」を備えるべきことが書かれている。
最後にシリーズ 疫病と人間での上野千鶴子さんの論説である。
日本人の緊急事態が同調圧力による「自粛」によって一定の防除効果を上げたが、戦争中の大政翼賛にも通じるものがあるとの指摘。
兵法の概念に、戦略・戦術・戦闘のレベルがあるが、戦略の失敗は戦術で補うことはできず、戦術の失敗を戦闘で補うことはできない。無能なリーダーのもとで、無謀な戦略に、劣悪な戦術で現場の兵士に必死の戦闘を強いる、過去の経験がコロナの戦争のもとでも医療や介護の現場で起きていると指摘されている。
この度こそ、人類史上未曾有の、人類文明の持続可能性が問われる危機である。多くの人びとが心して、良い方向に舵が切れるように祈りたいものである。
(文責:浮田)
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