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リレートークで渡邊佑策翁の「共存同栄」について学びました。

2017年06月18日

6月16日(金)渡辺翁記念会館80周年 リレートークが行われ、渡邉裕志さん、堀雅昭さん、久保田市長のお三方が登壇され、「共存同栄」についてのお話がありました。
進行役は、宇部日報の脇和也社長がつとめられました。

まず、曾孫である渡邉裕志さんが、年表を示しながら、佑策翁の生い立ち、業績、人となりなどについて、話されました。

70年の生涯を、「不遇の前半生」と「怒濤の後半生」に分けてられ、とくに4歳で、実母、14歳で父をなくし、男1人で祖母、継母、妹4人を支えなければならず、高等教育を受られなかったということです。

その中でも、6歳の時に家に入られた継母は信心深い人で、後の祐策翁の利他的な生き方にも影響をあたえられたのではないかということでした。

また、あとの意見交換で、15歳の時、岩国の東沢瀉塾で1年半、陽明学の「知行一致」を学ばれたことも紹介されました。

沖の山炭鉱の経営が安定してからは、それを糧として、次々と、新事業をなされ、後の宇部の基礎をつくられました。

常に、郷土の公益を考えられ、自らは清貧の生活に徹し、鉄道や水道、学校や病院などの社会資本の整備にも尽力されたことは周知の通りです。

また生前は顕彰辞退されていたということでしたが、昭9年なくなられてから、以下のような顕彰の動きが起こったことが紹介され、印象に残りました。
・昭和11年に市民の広い層からの寄付も合わせて記念館前の銅像が完成。、
・高良宗七らが祐策翁の伝記をつくることを提唱し同年、弓削達勝著『素行渡辺祐策翁』発行。
・関連7社によって昭和12年記念会館が建設され、後に市に寄贈された。 

歴史作家の堀雅昭さんは、「共存同栄」の来歴について話され、もともと内部大臣をつとめた平田東助が、ドイツの信用組合の理念と、二宮尊德の報徳社の理念を合体させ、産業組合の理念として導入したものとされた。

 このドイツの信用組合のルーツはイギリスのロバートオーエンにあり、彼が主要メンバーであったイギリス社会科学振興協会には福原芳山が日本人として初めて参加していた。芳山らは帰国後、この協会をモデルに「共存同衆」を結成し、明治19年(芳山は明治15年没、祐策22歳の時)には、この流れを受けて宇部共同義会が創立されている。いわば現在のCSRの嚆矢ともいえる。

大正10年11月の宇部市制施行のスローガンとして、当時の山口県中川望知事(平田東助の部下)から「共存同栄」が祐策に伝えられ、採用された。

久保田市長は、出でよ! 現代の祐策翁 と題して、偉大な起業家であった祐策翁の再来を期待し、地域の資源、仲間同志、資金を活用して、新たな産業を創出する、イノベーションに力を入れていかなければならないとされた。

現代も「こどもの貧困」問題もある中、幼少期の苦労をバネにして起業家として成功した佑策翁のような人の出現を期待したいという気持ちを述べられた。

脇さんのお話では、宇部炭は低品位炭で、産業用よりもむしろ家庭用に使われ、安定した需要があったこと、昭和27年頃の長者番付には多くの石炭鉱業主が名を連ねていたということです。

昨日の宇部日報、リレートークの紹介記事、よくまとまっています。さすがプロですね。

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