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戦国歴史秘話「二の丸残照」

2016年01月21日

 市民から提供を受けました書籍の紹介をします。

 タイトルは「二の丸残照」、毛利輝元の側室二の丸につての話です。

 毛利家の正史には二の丸は文禄4年(1595年)10月18日に広島城で長州初代藩主となる毛利秀就を生んだことになっており、これが世に語り継がれていた。

 しかし宇部市の小野地区で新しい歴史の事実が次々と見つかった。

 宇部市小野地区に残る古文書に「秀就は小野村で生まれた」との記述があることから小野郷土史懇話会の会員が調査したもので、厚東郡小野村の領主であった財満家の文書や伝承から、財満忠久・就久父子の屋敷が出生地であると結論づけた。

 毛利輝元は正室の南の方を非常に恐れていたので側室の二の丸が懐妊すると発覚を恐れて秘密裏に小野村の領主財満家に預け、そこで秀就を生んだという話である。

 その後も、二の丸は影の存在のまま慶長9年(1604年)8月1日に32歳で病死し、山口古熊の西方寺(現・山口市の善生寺)に葬られた。

 小野地区の財満家の屋敷跡には現在、地元の方たちの努力で毛利秀就公誕生の地の石碑や説明板などが建てられ一目で判るようになっています。

 毛利秀就公誕生の地の石碑です。

 二の丸様の顕彰碑です。大きな一枚岩の顕彰碑と二の丸様の石像が併設されています。

 旧財満家の屋敷跡の位置です。(P)

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