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ナホトカ号重油流出事故
2016年01月02日
約20年前、1997年1月2日の未明、荒れ狂う日本海を東に向かって航行する1隻のタンカーがあった。
船はロシア船籍の氷海仕様タンカー「ナホトカ号」(13,157総トン)、C重油19,000klを積んで上海からカムチャッカに向かっていた。
船内時2日午前2時、機関出力が低下、操船に困難を生じていた。そして3時頃大音響とともに船体に亀裂が入り、2番タンク付近で船体が分断した。
そして間もなく機関室に浸水が始まり、メル・ニコブ・バレリー船長は午前3時40分に退船を決意し、31名の乗組員は荒れる日本海を数隻の筏と救命ボートに分乗し、脱出した。
この事故で約3分の1のC重油が荒海に流出した。
船尾部分は約半分のC重油を積んだまま沈んでしまった。
船首部分と流出したC重油は当初海流に乗って日本海を流れていくものと思われていたが、強い西風にあおられて間もなく福井県を中心として日本海沿岸地帯に流れ着き、大きな被害をもたらした。
漂流している船首部分です。
船の沈没位置と船首が流れついた位置です。
重油は海鳥たちにも容赦なく襲いかかり、多くの鳥たちが命落とした。写真はかろうじて助けられた海鳥です。
厳冬の荒波は打ち付ける海岸では全国から集まった延べ30万人とも言われるボランティア、漁師をはじめとした地元の人たちによるバケツや柄杓を使った人海戦術で重油の回収作業が繰り広げられた。
海岸での重油回収作業の様子です。
過酷な作業は地元の方やボランティアの5人の命を奪うこととなった。
現在でも沈んだ船尾部分からわずかながら重油が海水中に流出しているとのことです。
この件についてはより詳しく銀天エコ通信1月号に記載しております。(P)
下記URLを参照願います。
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