H27年度 第1回環境サロン 「お掃除に学ぶ」 の報告です。
2015年07月31日
ビデオの撮影に失敗し、今回動画はありません。幸い、司会の山切さんが詳しく内容をまとめていただいたので、少し長くなりますが、記録を兼ねて、そのまま紹介させていただきます。
平成27年度第1回環境サロン
演題:「お掃除に学ぶ」
講師:山根好子(「日本を美しくする会」)
司会::山切睦彦
講師の紹介(司会)
山根さんは静岡県熱海のご出身。ご結婚で40年前よりずっと宇部市に居住され、校区の人権委員、体育振興委員等を務める傍ら、「日本を美しくする会」運動に携わり、「宇部掃除に学ぶ会」を立ち上げられ、事務局長、代表を務められる。4年前に宇部志立市民大学環境学部を卒業したことを契機に、環境まちづくりサポーター、生物多様性応援団、環境学部OB会、環境サポートメイツ等、環境関連の諸団体に属し活躍中。又、2011年5月には「東日本復興を支援する会」を立ち上げ、代表を務め、支援活動をしておられます。
□ご紹介いただいた山根です。先日、浮田先生からお電話があり、「今年度の環境サロンのスタートが遅れているが、何としても7月から始めたい。ついては山根さん、第1回の講師を引き受けていただけませんか」とのこと。私はフェイスブックをやっているので、先生は、私の活動のことをよくご存じ。そこで「急ぐときは山根さん」で頼まれたことのようです。せっかくのご要請ですので、『「お掃除に学ぶ」と言う題でお話しさせて頂きます。』とお引き受けした次第です。
私は、今から18年前に常盤公園キャンプ場のトイレ掃除を機に、「宇部掃除に学ぶ会」を立ち上げました。今回、このお話しをすることになり、18年を振り返ってみて、この活動を通して、実に多くの人々に出会っており、今更のように驚いています。中には著名な方(元横浜市長の中田さん、宮城県知事の村井さん、国会議員の河村建夫さん等)もおられますが、肩書なしの、人間としてのお付き合いです。それが素晴らしいと思います。私は、これを通じて、日本全国の人たちと知り合うことが出来ましたが、今日はこうした経緯をお話ししたいと思います。
今日、私が着ているTシャツは、私のオリジナルで、前面に「心はひとつ掃除に学ぶ会」と言う文字を、後面には「良樹細根」と言う文字を入れております。「良樹細根」は、これからお話しする鍵山先生に教えていただいた言葉で、「いい樹は細やかな根をしっかり張り巡らせている。だから倒れない」と言う意味です。上の立派な樹だけを見て感心するのでなく、下の根を見ることが大切。「掃除をすること」により、私のものを見る位置が変わり、人生観が大きく変わってきました。それが故に「掃除に学ぶ」と言う名称にしました。「掃除を学ぶ」なら掃除の仕方を学ぶことであり、「を」と「に」は大きく違います。「掃除屋」でなく「気付きの世界」なのです。
私は鍵山秀三郎先生に多くのことを学びました。鍵山先生は、昭和8年のお生まれで,今年82歳。東京の荏原町にあるローヤル(現イエローハット)と言う自動車用品の卸し業の会社の社長さんでした。掃除を始められたのは今から50年前ですが、「自分の会社を良くしたい」と言うのが、鍵山先生が「掃除」を始められた動機でした。社員からは「うちの社長は、経営より便器ばかりを磨いている」とそっぽを向かれ、バカにされたそうですが、それでもトイレ掃除をやり続けられました。その頃、自動車業界に入って来る人達は、机に足を投げ出したり、不満があるとゴミ箱を蹴散らしたりするなど、心のすさんだ人が多かった。こうしたことを見て、鍵山先生は「これでは会社はよくならん。自分の両親は、どんな苦しいときでも、一生懸命、掃除をやっていた。自分は、学歴も特別な才能もなく、出来るのは掃除しかない。トイレに行き、気分が良かったら、それでいいではないか。」と思われ、ご両親の姿を真似て、トイレ掃除を始められました。やがて10年経つと鍵山先生に続く社員が出てきた。そこで会社だけでなく、近くの街頭、駅のトイレ掃除にも拡大して行かれました。
会社(ローヤル)は、バブル期は低迷していたが、バブルが崩壊すると、右肩上がりに急進、その理由は➀地道な努力、➁社員の穏やかさにありました。ローヤルは大型量販店に品を卸していましたが、バブル期、そうした大型量販店は横柄で、卸店に対し、自分たちの売出しに合わせ、持って来いと、完全に上から目線の態度だったそうです。そのため、社員は休む暇のない勤務を強いられ、大変な苦労をしていた。その上に、徹底的に値を叩かれ、利益も出ない。そのため、鍵山先生は、取引を止めてしまおうと思われたが、単に止めるのでは、社員を路頭に迷わすことになるので、考えた挙句、直販店を出すことを決意されました。そうすると鍵山先生の人柄に惹かれ、チェーン店をやりたい人が急増し、みるみる全国展開して行きました。見積書をとったことは一度もないと言うことです。その頃に社名を今の「イエローハット」に変えたのですが、これは交通安全のおばさんたちの黄色い帽子からとったものです。
私は実に多くに人と出会っております。今日も私の友達が、私の話を聞きに来て下さっていますが、古くからの友達、最近、友達になった友達、ママさんバレーで一緒だったとか、或は環境活動を通じてとか、さまざまです。私は大手健康食品の代理店業務をやっていました。毎月1回、会議があり、そこで、各代理店の販売実績が公表されるのですが、そこには大きな差が生じていました。本部長が「同じ商品を売りながら、代理店間でどうしてこんなにも差が出るのでしょうか」と尋ねるが、誰も答えられません。すると本部長は「その人の人間の魅力の差ですよ。自分磨きをして下さい」と言われました。自分磨き?、私はとても悩みました。しかしこの仕事を始めたからには、成長し、その先に成功したいと言う夢がありました。そこで、本部長の言う、自分探し、自分磨きを始め、いろんな本を読みました。 本日のお話しをするに当り、これまでにどんな本を読んだか振り返って見ましたが、実に多くの本を読んでいました。その中で、大好きで感銘を受けたものに中村天風さんの本があります。王選手の一本足打法の先生ですが、カセットもあるので、移動の都度、繰り返し聞きました。それは、徹底した「プラス思考」でした。人間は、霊長類のトップであり「自分がこうだと思ったことは、その通りになるんだ」と思い込むこと。全て肯定的に書いてありました。「ケガして痛いが、あなたの魂は傷付いてはいない。肉体と精神とは別だ」。この言葉も、私に勇気を与えてくれました。神渡良平先生にも多くを教えられ、影響を受けました。
そして行き着いたのが、月間誌「致知」でした。これは、健康食品会社の教育課長が私達代理店の人に「内容は少し難しいかしれないが、いい雑誌ですよ」と言って紹介されたものですが、私は購読を始めました。そこに鍵山先生の「掃除」の話が出ていたのです。私も主婦ですから、掃除はしていましたが、鍵山先生の掃除は、生半可なものではなく、洗面台の裏から、タイル、水回り、排水溝、何から何まで徹底的にされる、そのことを知りました。
そして田中義人さんとの対話が掲載されていました。
田中さんは、岐阜にある半導体の会社を経営され、バブル期に伸び、社屋を増やしていったが、バブル崩壊に伴い、大変な目に遇われました。バブル期のことを反省すると、社員に「鼻面に人参をぶら下げた」仕事をさせており、納入期限には、何とか納入するが、不良品がどんどん返品されるようになり、遂には倒産寸前にまで追い込まれてしまったとのことです。そのようなときに、岐阜に来られた鍵山先生のお話しを聞く機会がありました。藁をも掴む思いで参加したが、鍵山先生の「私の会社はトイレ掃除で良くなりました」と言う挨拶を聞かれ、その翌日から、家の前の神社のトイレ掃除を始められた。抵抗はあったが、終えてみると、今まで、味わったことのない清々しい気持ちがし、それから娘さんと続けられました。そして、会社幹部に「何としても人の解雇はしたくない。そのためにも一緒に掃除をやらないか。」と話し、一緒に始めることにされた。鍵山先生に来ていただき、掃除の仕方を教えてもらった。先ず工場の製造過程で、原材料が溶けてべとべとになり、汚くなった床をきれいにするところから始めた。鍵山先生は「掃除は、最初から範囲を広げないこと、先ず自分の周り1メートル四方を綺麗にする。そうすると、次にその周りの汚さが気になる、そこをきれいにする、そして更に広げて綺麗にしていくのです。」と言われた。掃除を続けるに従って、会社の業績も良くなっていったそうです。そして21年前に「大正村掃除に学び会」を立ち上げられたのです。その20周年記念と、鍵山先生が掃除を始められて50周年の二つの祝賀会が新宿で開かれました。
皆さんのお手元に「なぜ、トイレ掃除か?」の資料があるが、これを一緒に声を出して読んでみましょう。(全員で声を出して読む)
【なぜ、トイレ掃除か?】
1.心を磨く
2.謙虚な人になれる
3.気づく人になれる
4.感動心を育む
5.感謝の心が芽生える。
「2004年の11月に、阿武町で記念講演会をやった時には、鍵山先生にも来ていただきました。講演会場は阿武町でしたが、掃除は「明倫小学校」のトイレでやりましたが、とてもいい思い出です。
私は夫を亡くして25年になります。夫の両親、3人の子供との生活の中の、子育てで、とても大変でしたが、何とか頑張って来ました。今、思うと「人間は不足した生活をするのがいい」とつくづく思います。義父は夫の死後、7年後に亡くなりました。そうした中、私は「宇部掃除に学ぶ会」を立ち上げ、掃除に一生懸命に取り組んだのですが、そういう私を見て、義母は「何という嫁か」と思ったかもしれませんが、黙って見守ってくれました。本当にありがたいことでした。私は60才を過ぎましたが、これからも、いい生き方をして行きたいと願っています。
鍵山先生に「いい生活をするための6つのこと(6つを行う順番が大切です)」を教えていただいたので、紹介します。
⑴ 出来るだけ譲る。(譲り過ぎて損することはありません)。
⑵ 掃除を徹底する。(私は今年の3月〜5月、娘の出産の手伝いで東京で一緒に生活したのですが、娘は実に徹底した掃除をしておりました。私もやっているつもりでしたが、あらためて娘に教えられたことでした)
⑶ 人を喜ばせる(こんなことをしてはどうかとか、何となく照れ臭いとか戸惑いがちになるが、自分に置き換えて見て「嬉しい」と思ったら、迷わず行うことです)
⑷ 自我を張らないこと(相手を認めること、許す心を持つことです。)
⑸ 与えられた枠を使い尽くさないこと(宴会で楽しいと予定時間を延ばしがちになる。しかし中には帰りたい人もいるし、店は跡片付けもある。お手伝いの人たちの残業代の問題もある。予定の10分前には終え、5分前には誰もいなくなる。そのことを心掛けたいものです)
⑹ 骨惜しみをしないこと。(先日、生物多様性応援団の草刈りをしたが、参加者はたったの3人。大変だったが、三人誰も愚痴も言わず、骨惜しみすることなく頑張りました。綺麗になり、とてもさわやかな気持ちでした。いいことを見つけ、一生懸命に尽くすと、必ず楽しくなるものです)
私は、毎日、この6つのことを声を出して読み上げております。自分に「おまじない」をかけているのです。
浮田先生が主宰されている「環境サロン」は、三つのテーマに取り組んでいますが、その中に「こころの環境」があります。捉えどころのない難しいテーマだと思っていましたが、今、私は「大切なことはこれだ」と言う気がしております。皆が本当に優しい、譲り合う気持ちになったら、とても住みよい、活性化した「宇部」になると思います。これまで、いいことが始めても、「打ち上げ花火」に終わり、継続しないことが多かったと思います。やる以上、一人一人が、宇部を良くしていこうと言う強い気持ちを持ち、その根をしっかり張らねばなりません。正に「良樹細根」です。
森信三先生の言葉に「10年一区切り必死の2年」と言う言葉があります。「何事もきちんと育つには10年はかかる、しかもその中で2年は死にものぐるいでやらないと育ちません」と言っておられます。一つのことをきちんとしたものにして行くことは大変なことです。こうした動きを進めていくためにも、環境サロンの「心の環境」は大切であり、ずっと続けていかねばならないと思います。
私は、これまでの人生でいろんな人と出会ってきましたが、森信三先生の「人間はその一生に会うべき人には必ず会う。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎないときに。」を確信しております。西洋に「幸福の女神は前髪しかない」と言う諺があります。ここぞと思った時に、躊躇することなく、その前髪を掴むことが大切です。私の話は、ひとまず、ここで置いて、鍵山先生のDVDを見ていただきます。
(鍵山先生のDVDを視聴)
質疑など)
森山:環境コミュニティが「学習館の管理」を受託した4年前、学習館の前のステージに市内の高校生(30人くらい、3グループ)がたむろし、喫煙やブレークダンスをしていました。それを見て、なんとか叩き直してやろうと思い、わざと彼らの前で掃除を始め、「タバコを止めろとは言わんが、ここは勉強するための学習館だから、その前で吸うのは止めろ」と注意し続けた所、だんだん少なくなって行きました。ブレークダンスがうまいので、エコ市場のステージに出してやろうと言った所、非常に喜び、3グループ、全部、出るようになりました。また、「お前たち、大人が白い目で見ているぞ。街を掃除して見ろ。認めてくれるぞ」と大掃除に誘ったら出てくれた。このように大人が彼らの中に入って行き、声をかけてやると心を開いてくれるものです。彼らは「自分たちを認めてもらう」ことに渇望しています。掃除のことを宇部日報に取材、写真入りの記事にしてもらった所、彼らのボスが「良いことしても俺らは新聞の写真に載らないのか」と文句を言ってきた。そこで「掃除に遅れて来といて、何で写真に載るんや。大人の世界は厳しいのだ」と諭したこともありました。彼らが卒業して、掃除への参加が少なくなりましたが、4Fの学習室の受験生に声をかけた所、参加してくれるようになりました。最初の若者たちとは、私は個人的には、何人か今でも付き合っております。
山根:「認めてあげる。出番を作ってあげる」ことは、とても大切なことですね。子供のトイレ掃除についてですが、子供には、いきなり、やらせない方がいいです。大人がいきなり命ずるのは酷です。先ずは大人がやり、それを見て、自然に始める形がいいと思います。元中央高校の佐古校長(現岩国市教育長)は、謹慎の罰を受けた子に、校長、教頭と一緒にトイレ掃除をしようと誘われ、とてもいい結果を得ておられます。こういう形がいいですね。
質問:トイレ掃除は、直接、手でやるのですか。
山根:手袋の使用は自由ですが、例外なく、全員が付けず、自分が綺麗にした便器の感触を楽しんでいます。鍵山先生は「目は怖がりだけど、手は怖がらない」と言われます。目で見て嫌だと思ったら、恐がるが、知らないで触ると大丈夫です。ニューヨークで掃除をしたときには、使用済の注射器もあるので、絶対に素手でやってはいけないと言ったのに、素手でやっています。
新宿の歌舞伎町でも掃除をしました。ここでの掃除会は、朝5時に集合、出社前の人が掃除して、朝食をとって出社していくのですが、朝5時でも一杯の人で溢れており、一日中、人が絶えることはありません。新宿交番がとても協力してくれます。全国のヤクザの出張所と言われる所でしたが、今では暴力も風俗事件もなくなっています。石原都知事の時、広島県警の本部長をされた竹花さんを副知事に招聘されました。暴走族に悩んでいた広島市で、県警本部がその対策に取り組み、大きな成果を上げた実績があったからです。対策のひとつに、暴走族と一緒に、中央街のトイレ掃除に取り組んだことがありますが、綺麗になった時の言葉に感動しました。「オー・マイ・ベンキ(便器)」。本当に素晴らしいことです。
先程、森山さんは「学習館前に屯す若者たちに出番を与えた」話をされましたが、鍵山先生は、広島の暴走族の若者に対し「ハリウッドのダンスの先生に付かせてやろう」と、自分のお金で20名近くを渡米させ、レッスンを受けさせ、帰国後、広島のフラワーフェステバルに出演させられました。彼らが、非常に張り切って踊ったことは言うまでもありません。私もそのダンスを見せてもらいましたが、本当に素晴らしいものでした。「大人が、認めて、出番を作ってやる」、これは、子育て、教育、の基本であり、非常に大切なことだと思います。
最後に私が代表をしている「東北復興を支援する会」の関係するお話しをさせていただきます。今日、私が着ているTシャツは、4年前の3・11の3か月後、石巻に行き、ボランティア活動をしたときに着ていたものです。シミがついていますが、私の頑張りに対する勲章だと思っています。
・4年前の3・11は本当に衝撃的なことでした。発生時、私は宇部で仕事仲間の人たちと会議をしておりましたが、東京に住んでいる二人の娘から、相次いでメールと電話があり、「今、大変、激しい地震があった。怖い。どうしたらいい」と言うものでした。仲間たちが、私の落ち着かない様子に「何があったの」と気遣ってくれ、私の話を聞き、慌ててTVをつけると、正に大津波が松林を超え、仙台平野を総なめにしようとする瞬間でした。
・「日本を美しくする会」は、大震災後、間もなく石巻の専修大学のキャンパスに他の団体と一緒にベースキャンプを張って、そこから各地にボランティアに行っておりました。私は3か月後の6月の初めに行くことのしていたのですが、5月末に現地は激しい風雨の低気圧に襲われ、テントは飛ばされ、寝具は水浸しでも使われなくなってしまい、「山根さん来ても寝る所がないわよ。来てもダメよ」とのこと。それでも私は何としても行かねばない必死の思いで、一人で行ってしまいました。幸い、被災者の避難所の一角に寝る場所を確保してもらいましたが、その避難所に行った私を、被災所の人たちは「何しに来たんだ」と言った目で、じろりと私を見ました。「物見遊山で来るな」と言いたげな表情でした。その中に「あんた一人で来たのか」と声をかけてくれたおじさんがいて、「まあ飲めや」と湯呑で紅茶を勧めてくれました。「どうして沸かしたのだろう」と思いながら、いただいたのですが、そのおじさんはお寿司屋のご主人で、店は流され、唯一、持ち出した湯呑で、私をもてなしてくれたのでした。そのうち、周りの人も集まり、話しをすることが出来ました。2泊して「もう帰らないと行けません。又、来ます」と言って別れようとしたら、「もう帰るんか。ボランティアの人は、又、来ると言うが来たことはない」と言われました。私は「必ず来ます」と言って別れましたが、確かにボランティアは「割り当て」ですので、同じ所に再度行くことはめったにありません。しかし、私は、1か月後に行きました。「本当に来たんじゃな」とびっくりしておられました。石巻では、瓦礫の片付けもしました。瓦礫と言っても、ちょっと前までは立派な道具だったのです。そういう気持ちで、丁寧に片付けました。
軽トラで石巻港の水産工場の跡に連れて行って貰ったのですが、カモメが一杯いるのです。窓を開けようとすると、「絶対に空けるな」と言われました。冷凍した魚貝類等が腐敗し、猛烈な匂いがするとのことでした。カモメは、それを目当てに集まっていたのです。強烈な風景でした。私はその後も行き、3回、行きました。又、行きたいと思っています。
・私は東北の姿に居ても立ってもおれない気持ちになり、思い切って、「東北復興を支援する会」を4年前に立ち上げ、昨年2月には「被災地からのメッセージ」と銘打った「チャリティ」を開催しました。今秋(10月24日)には「復興地からのメッセージ」の「チャリティ」を計画しています。その際は、ご協力、どうぞ、宜しくお願い致します。
最後に誰も心にある「ふるさと」を一緒に歌ってお別れにしたいと思います。(配布された歌詞表にもとに、全員で3番まで歌い、終了)。
以上
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