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環境歳時記(5月31日):新潟水俣病公式確認の日(1965年)-1
2015年05月08日
かつて、新潟県の阿賀野川河口から5~6km上流地帯はニゴイやウグイ、ボラの漁獲があり半農半漁で生計を立てる人たちが多く住んでおり、そんな家にはネズミから漁網を守るために猫を飼っていた。
1964年の秋頃から65年の春にかけて、その猫たちが奇妙なダンスを踊り、不意に転んだり、足をばたつかせ、急に走りだし、柱などにぶつかる。はては火のついた七輪に突っ込むなど異様な状況が見られ始めた。
それは猫だけでなく家庭に飼われていた犬や豚といったものまで症状を見せ始めた。
それらの症状はついに人にも出始めた。「どうも舌がもつれるようだ」と言っているうちに耳が聞こえなくなる。手がしびれて食事もままならなくなる。そして目の視野が狭くなる。そんな人たちが出始めた。
翌年の年1月、東京大学脳研究所椿忠雄助教授(同年4月から新潟大学神経内科教授)は、新潟大学医学部付属病院で有機水銀中毒と思われる患者を診察した。
そして4 月、5 月と1例ずつ患者が発見され、ついに5 月31 日、新潟大学から新潟県衛生部に阿賀野川有機水銀中毒患者の集団発生が報告された。これが新潟水俣病の公式確認の日となった。
そして県は、6月12 日、阿賀野川流域に有機水銀中毒患者が7人発生し、2人死亡と正式に発表した。
大学の対応は早く、阿賀野川下流の患者発生地域で予備調査を行い。同年6月16日、県と新潟大学は合同で新潟県有機水銀中毒研究本部を設置し、系統的な患者の発生状況および、原因物質の侵入源の調査など意欲的に行われた。
この新潟県の対応は先の熊本県の水俣病への冷ややかな対応と対照的なものであった。
そして6月28日には新潟県は、漁業組合に対し、阿賀野川下流域での魚介類の採捕の禁止について指導した。
この採取禁止は先の水俣湾や不知火海での漁業禁止を最後まで出さず潜在患者を含めると約20万人となった熊本県と対照的なもので、その後の患者の発生抑制に大きく影響することとなった。
熊本の水俣病患者と同様の症状から原因物質は早くから有機水銀であるとの確証を得て、調査は進められた。問題は原因物質である有機水銀がどこから発生しているかということであった。
阿賀野川流域で水銀を使用している3工場についてさっそく排水や泥土を採取し新潟大学へ依頼して分析が進められた。
そしてまもなく阿賀野川河口から上流約60kmのところにある昭和電工鹿瀬工場が原因工場であると突き止められた。
新潟水俣病被害者の分布と昭和電工鹿瀬工場の位置 出典:新潟水俣病のあらまし(新潟県)より
昭和電工鹿瀬工場の全景 出典:新潟水俣病のあらまし(新潟県)より
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