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アスガル・アリさんの環境サロンに関連して、たまたま読んでいた本などの紹介を兼ねて、当日の議論を補足します。

2020年10月09日

アリさんの環境サロンの議論の中で、一神教が日本人になじまないという意見が複数の参加者から出されました。

まず、「遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子」 という本ですが、イエス・キリストが当時ローマ帝国統治下にあったユダヤ人指導者によって処刑されましたが、
12人の弟子たちが、自分たちの命にも危険が及ぶのを恐れて、イエスを見捨てて逃げたということです。しかしイエスは最後まで、彼らのことを責めず、気遣い、「愛」
に徹したという。12人の弟子たちは、そのことで深く反省して、後にそれぞれ、キリスト教の布教に命をささげたことが、15,6世紀に書かれた絵によって説明されています。

弟子たちもほとんど最後はいろんな形で処刑されていて、ずいぶん厳しい世界だなあと感じました。

二つ目の本は「ザビエルの見た日本」で、ピーター・ミルワード(1925-2017)というイエズス会会員で上智大学教授を長く務められた方が書かれたものです。

右の挿絵はおそらく、前のザビエル記念聖堂にあり火事で焼損したステンドグラスで、山口での布教の様子が描かれています。

この中で、先日のサロンで議論されたことに関係した部分をひらって見ると、よく似たすれ違いが、15世紀の山口でも見られたことが分かります。

まず神の教えがなくても、我々にはもともと基本的な倫理観は備わっているということ、日本人の気質は長い年月がたってもさほど変わっていない。

一方ミルワードさんの感想として、戦後はアメリカ文化の影響もあり、好奇心が旺盛なところは変わらないが、日本人の気質はかなり変わったのではないか、若い人たちが厚かましくなったと指摘されている。

ザビエルは日本人の国民性として、羞恥心について無知であって、彼らが同意したのを、自分の説明をそのまま受け入れたと誤解したという。

著者は、当時も今も日本人はいろいろ質問するだろうが、その質問をさらに深く追求することはめったにない、という指摘もされている。その傾向は、市世代がより厚かましくなったのとは裏腹に、深く追求しないようになっていると感じられているようである。

やはり当時から神がこの世のすべての創造主であるということが受け入れられず、天も地も空も、太陽も、月も、星も、すべて初めから存在しているという認識である。

関連して最近の新聞論説の前半部分であるが、日本人の「羞恥心」、「同調圧力」小学校の学年が上がるにつれて、元気よく手をあげて発言する子ども達が少なくなってくることを指摘されている。 

さて、最後は最近たまたま見た、若い真言宗の僧侶がSNSで多くの動画を発信され、頑張っておられるようであり、その中で、「寛容になること」を解いておられる動画である。

やはり、セム族の一神教とは違って、仏教は極端を嫌い、中庸の大切さを教えていること。またすべて命あるものは価値があり、役に立つか経たないかを尺度に考えるべきではなく、寛容になるべきだと説かれている。
しかし、このような仏教の考え方では、易きに流れやすく、これからの持続可能な社会づくりを進めていくには、やや問題があるようにも感じる。

受験勉強に明け暮れる、環境学習館の利用者達を見ていると、やはり今まで通りの人材に育っていくことが教育の主流として継続していること、ESDの考え方がなかなか普及しないこと、まず何より、そのような教育を受けてきた自分自身が、世の中の役に立たなければ価値がないといった考え方に、染まりそのような価値観に従って暮らしていることを反省させられる。  (文責:浮田)

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