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ザビエルが結ぶマラッカと山口のつながり

2018年07月27日

今月初旬に、宇部環境国際協力協会(宇部アイカ)20周年記念事業でマレーシアを訪問したとき、丘の上にあるセントポール教会を撮った写真です。

右の白い像はフランシスコザビエルの像です。右手の下腕部が欠けていますが、ガイドさんの説明では、落雷で近くの樹木が倒れかかり、その部分が折れたと言うことでした。

没後50年も経って右腕を切り落としたとき、赤い血が出たとか、遺体が腐らずにミイラ化したとか、聖人たる所以になっているようです。

上の写真2枚: 屋根が残っている部分、おそらく、9ヶ月ザビエルの遺体が埋められていた所だと思われます。HIS はイエズス会の略称のようです。

1552年9月 ザビエルは、中国での宣教が不可欠と考え、マカオから西南西95kmの上川島に到着。しかし中国への入境は思うようにいかず、病を発症。
1552年12月3日、上川島でこの世を去った。46歳であった。遺骸は石灰を詰めて納棺し海岸に埋葬された。その後、
1553年2月 マラッカに移送、さらに9ヶ月後、生前のサビエルの希望によって、インドのゴアに移された。(ウィキペディアより)

左下は屋根のない部分の内側の壁ですが、ガイドの話ではゴアから運ばれた紅サンゴ?だとか。外壁も同じですが、自然に風化が進み、なかなかいい味がでています。

右下は18世紀のマラッカの絵図ですが、小高い丘のあたりが、この教会の位置でしょうか。

参考までに、最後の方は一部ダブりますが、以下年表はWikipedia(フランシスコ・ザビエル)より引用 
1548年11月 ゴアで宣教監督
1549年4月 ジャンク船でゴアを出発、日本を目指した。8月鹿児島に到着
1549年9月 伊集院城で島津貴久に謁見、宣教の許可を得た。しかし貴久が仏僧の助言を聞き入れ禁教に傾いたため薩摩を去る。
1550年8月、ザビエル一行平戸入り、9月トーレス神父を残して京へ
1550年10月 山口入り
1550年12月 男色を罪とするキリスト教の教えが大内の怒りを買い、周防を立つ。岩国から海路、堺に上陸。
1551年1月、豪商了珪の支援により、一行は念願の京に到着。全国での宣教の許可を「日本国王」から得るため、インド総督とゴアの司教の親書とともに天皇および足利義輝への拝謁を請願。しかし、献上の品がなかったためかなわなかった。
1551年3月 京での滞在をあきらめたザビエルは、山口を経て平戸に戻る。
1551年4月 平戸に置き残していた献上品を携え、三度山口に入り、大内義隆に再謁見。義隆はザビエルに宣教を許可し、廃寺となっていた大道寺をザビエル一行の住居兼教会として与えた(日本最初の常設の教会堂)。ザビエルは一日に二度の説教を行い、約2ヵ月間で信徒数約500人にものぼった。
1551年9月 ザビエルは豊後国に到着。大友義鎮(後の宗麟)に迎えられる。
1551年11月 日本人青年4人を選んで同行させ、トーレス神父とフェルナンデス修道士らを残して出帆。種子島、中国の上川島を経てインドのゴアを目指した。
1552年9月 上川島に到着。病を発症。12月3日、逝去。遺体は石灰を詰めて納棺し海岸に埋葬。1553年2月 マラッカに移送、さらに9ヶ月後ゴアに移された。

写真の棺の開帳は、10年に1度行われるとのこと。

写真はローマのジェズ教会にあるザビエルの右下腕部の遺骨です。
ところで、マカオの聖ヨゼフ聖堂にはザビエルの右上腕部が保存されているそうです。

以下引用 https://www.howtravel.com/asia/china/macau/mac-sightseeing/mac-building/igreja-e-seminario-de-s-jose/

ちなみに全身の遺骨はインド・ゴアのボン・ジェズ教会に、右腕の下腕部はイタリア・ローマのジェズ教会に安置されている。

1552年、マカオ南方にある上川島でその生涯を終える。遺体は(マラッカをィ経て結局)インドのゴアに運ばれたが、イエズス会員の要望を受け、イエズス会総長がザビエルの片腕を日本へ送るようインド・ゴア支部に指示。

1619年、右腕の遺骨はマカオを経由して日本へと運ばれた。しかし、当時日本は江戸時代。キリスト教は徳川幕府により迫害されており、遺骨を安全に保管できる状況ではなかった。このような経緯から、遺骨は再びマカオへと運ばれたのである。

マカオへ運ばれた遺骨は200年もの間、聖ポール天主堂で保管されていた。しかし1835年の火災以降、聖アントニオ教会、聖フランシスコ・ザビエル教会を経て、現在の場所、聖ヨセフ教会へとたどり着く。

ザビエルが山口に布教のために、訪れたのは、大内氏末期の義隆の時代、1952年4月から9月の間に500名を超える信者を獲得したようす。その意味では鹿児島、平戸、大分など、ほかにもザビエルゆかりの場所はありますが、山口の位置づけは大きいです。

山口市の観光のシンボルの一つとして、ザビエル記念聖堂は1957年に建てられたが、残念ながら火災で焼失し、1998年にモダンな建物に再建されています。

この度マラッカを訪れた際、マラッカ州の有力者から、宇部市と姉妹関係を結びたいとの希望を聞かされましたが、マラッカは世界的に有名な歴史観光都市であり、マレーシアの16州のうちの一つですので、相手としては山口県が適当ではないかと思います。このような友好関係をベースにして山口県も、明治維新のみならず、大内文化を取り上げ、世界歴史文化遺産の指定につなげ、ぜひ平和友好の観光立県を目指していただきたいと思います。
(文責:浮田)

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